人は易きに流れるもの
作成日:2019.01.13
タグ: 自分語り
	 何かしようと思った時、その「何か」の候補となるものはたくさんあるが、簡単にできるものを選んでしまいがちである。
	簡単かどうかというのは、考えずにできるかどうかに大きく依存する。
	例えばTwitterを眺めるのは、最悪文字を読むだけだからものすごく簡単である。
	競プロ(AtCoder)や耳コピ(mimicOpus)の問題を解くのは、取り組み始めるのはページを開くだけで何も考えずにできるが、解ききるためには頭や耳を働かさせなければならない。
	またブログを書くのは、何について書くかを考えるところから始め、テーマが決まったらそれに関する事項を挙げていき、その事項を適切な順序で並べた上で文章にしなければならない。
	 この3つの例においては、後に挙げたものほど簡単にはできないものである。
	一番初めのものはインプットで、アウトプットをしなくても良い。
	その次のものはどちらかというとアウトプットであるが、何をすべきかが明確である。
	そして最後のものは完全に自由なアウトプットである。
	 インプットの方がアウトプットよりも簡単にできる。
	またアウトプット同士では、そのために考える枠組みが狭まっている方が簡単にできる。
	つまり受け身であるほど、また制約が強ければ強いほど思考が発散しにくくなり取り組みやすくなるということだ。
	 このような理由でブログを書くのは後回しになりがちになるし、ブログを書こうと思い立っても途中で別のことを始めてしまいがちである。
	だから、今日はブログを書き始めるとか、この時間に書くとか、いつまでに書くとか決めないと、いつまでたっても完成しないことになる。
	この記事も1月12日に書き始めて1月13日までに書ききると決めて、途中で別の重要でないことをやりだしたりしながらも何とか完成させている。
	
	 ところで、ここまでで簡単にできるかだけを気にしてきたが、その基準は何かをしたと言うための最低ラインであった。
	この基準においては、インプット、考える枠組みが狭くて良いアウトプット、完全に自由なアウトプットの順で難しくなるのだった。
	しかし有意義な行為にしやすいかという基準で考えると、順序は逆になるのではないかと思う。
	何かを有意義なものにするためには、自分で考えたり調べたりして深い理解を得ることが必要である。
	つまり考えなくてもできてしまうということは、意識して考えるようにしないと有意義なものにできないということなのだ。
	 人は易きに流れるので、考えなくてもいいものを考え続けるというのは難しい。
	だから、ブログを書くなどの考えないとできないアウトプットは大事であると言われるのではないかと思い至った。
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