表現に関して

作成日:2018.10.08

タグ: 雑記

はじめに

 「雑感」カテゴリーの記事を書くつもりだったのに、「短編」に仕立て上げるアイディアを思いついてしまったためにできたのが『表現の義務』である。 だから今度こそ「雑感」カテゴリーとして表現に関することを書く。

目次

  1. 色々な表現
  2. 自分のため、公開するため
  3. 表現のたまり場

色々な表現

 表現の中には誰かに向けたものがある。 その対象は個人、特定の考えを持つ人たち、全人類などと様々である。 相手に受け取ってもらえるように練られた表現もあれば、押し付けるようになされる表現もある。
 一方で誰に向けられたわけでもない自分だけのための表現もある。 紙にしたためる日記などがこれにあたる。 自分の気持ちを整理するためになされることが多いだろう。
 これらの中間に当たるもの、すなわち自分のために作られたが誰でも触れることのできる状態にある表現もある。 自分の中の思いを表した音楽や絵、web上にあげられた日記などだ。 公開する必要もないけれどもそうしてあるのはなぜだろう。

自分のため、公開するため

 そもそも公開によって共感を得るために表現していることもある。 自分のためではあるが、ある意味では全人類に向けた表現とも言えよう。
 もしくは誰かと何となくつながっていたいから公開するということもある。 身近な人では少し気恥しいが、匿名の誰かとなら共有できる。 その表現を見つけて拾う誰かに思いをはせるのだ。
 はたまた自分から距離を置くために公開しているのかもしれない。 公開することによって、自分だけのものではなくなる。 心理的に遠くへ追いやることで、表現に込めた思いからも離れることとなるだろう。

表現のたまり場

 理由はどうであれ、誰に向けられたわけでもない表現は公開されていく。 世の中はそういった表現のたまり場となっている。 そのたまり場では、誰かが何かに影響を受けるだろう。 表現と人との組み合わせは爆発的である。 その組み合わせによって新たな思いが生まれ、それが新たな表現をたまり場に増やすこととなる。
 かくいう私もこのようにしてたまり場の隅っこに表現を置いていく。 実際に誰かに影響を与えることはないだろう。 それでも組み合わせを生み出す可能性となることは確かだ。

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