二元論
作成日:2018.08.05
タグ: 雑記
目次
黒か白か
二元論に対するイメージは概ねこんな感じである。(RGBアテールを元にしている)
無彩色に近い色なら黒か白かに分類するのは可能かもしれない。
しかし、赤っぽい色に対してそれをするのはナンセンスであるように感じられる。
とはいうものの例えば明度を基準にすると決めてしまえば、一応は分類は可能である。
すなわち、基準がはっきりしていれば黒か白かに分類することは無理ではないということだ。
善悪二元論
色を何らかの概念、黒か白かに分類することを善か悪かに分類することと考えると、善悪二元論も先の例とかなり似ている。
しかし大きく異なるのは、分類の基準を明確にできるかどうかである。
色であれば明度のような一次元で表せる指標があるので境界を引くのは容易であるが、概念にはそのようなものは存在しない。
明確でないからその分類に説明をつけるのは難しく、善悪を他者と共有するのはほぼ不可能であるといえる。
そのような意味では善悪は好き嫌いと同等のものであるともいえよう。
善悪と好き嫌い
ところで、善悪と好き嫌いの違いは何だろうか。
善悪という言葉は、大多数が「そうなるべき」「そうなるのが正しい」と思っていると思われる時に使われるものであろう。
好き嫌いが個人の感情であることと対比させると、善悪は集団の感情とでもいえるだろう。
このように考えると善悪と好き嫌いは非常に似ている。
すると、これらを都合の良いように使い分けることもできそうである。
すなわち、多数が同じように思っているという印象を与えるために善悪という言葉を使うということである。
このような使われ方においては、もはや善悪は集団の感情というよりは個人の願望を表現している言葉にすぎないだろう。
まとめ
二元論は大した意味は持たないものであろう。
特に善悪は集団の感情を表す言葉であると思われるが、時に個人の願望に対して説得力を持たせるために使わることもあるだろう。
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